はじめに
メルカリで1950年代製の「グリュエン プレシジョン 21」を購入した。自社製ムーブメント(Cal.335)を搭載し、10K金張りのイエローゴールドが放つ程よいギラツキは、50代以上の大人の男性にこそしっくりくるデザインだ。若者には少し敷居が高いかもしれない。
当初はゼンマイ切れのジャンク品で、国内の時計資材屋2件に部品販売を断られてしまった。しかし諦めきれず、英国から汎用ゼンマイを個人輸入して見事復活させることに成功した。部品代は千数百円、送料が2000円だった。日本のDIY時計修理への風当たりは強いが、手間をかけるほど愛着が湧くものだ。
📸 裏蓋はスナップバック(左右にスワイプして見てね!)
スクロールできますケースから文字盤を取り出した状態 ケースと裏蓋の内側・刻印 裏蓋の外側・ブランドロゴ
🛠️ 時計を傷から守る、信頼の国内メーカー製「こじ開け」
ベゼルやスナップバック式の裏蓋を開ける際、安価な工具を使うと刃先が逃げてケースに深い傷をつけてしまう(あるいは過去の私のように大惨事になる)危険があります。
今回使用しているのは、国産時計工具の定番「セイコー(SEIKO)S-261」。刃先の強度と絶妙な角度が圧倒的で、硬いベゼルもスッとこじ開けられます。数百円の投資をケチって大切なヴィンテージ時計を傷つけないためにも、最初からこれを1本持っておくのが正解ルートです。
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ポチップ
1. ゼンマイの不動原因特定と「大逆転劇」
当初は「ゼンマイ切れの不動品」と見立てていたが、コハゼ(小波)を解放すると、リューズが逆方向に「ぎゅん」と勢いよく回転した。この挙動から、ゼンマイ自体は途中で破断しておらず、エネルギーを蓄える力が残っている(一本に繋がっている)状態であることがわかった。
「無限に回るのにトルクは溜まる」という症状から、「香箱の内壁(スリップ機構)の油切れによる滑り」や「ゼンマイ外端のフック外れ・折れ」を疑った。しかし、実際に分解してみると、香箱外側のストッパー付近でゼンマイが切れていたのだった。
📸 ゼンマイの取り出しとパーツ確認
ゼンマイを引き出しているところ 空になった香箱の内部(内壁のフック掛け部分) 取り出したゼンマイ全体(S字) 折れたゼンマイ末端の拡大
2. 英国Cousins UKで探す!汎用ゼンマイの計測と選び方の極意
国内の資材屋で部品販売を断られても諦める必要はない。時計師やDIY修理派の聖地である海外サイト(イギリスの「Cousins UK」やeBayなど)を使えば、スイスのGR(Générale Ressorts)社製などの汎用ゼンマイを個人輸入できる。
ゼンマイを特定する「3つのサイズ」と実測
Cousins UKでGRUENのキャリバー番号(Cal.335)を入力すると、当時の適合サイズがすぐに判明した。結果は「1.20 × 0.10 × 240 × 8(非自動)」。 しかし、古すぎる時計ゆえに純正互換品は絶版で在庫なし。そこで、別ページから汎用ゼンマイを検索し、デジタルノギスやマイクロメーターで測った「元のゼンマイの実測値」と照らし合わせて代替品を探し出した。
📸 ゼンマイの実測
ゼンマイの「厚み」を計測 ゼンマイの「高さ(幅)」を計測
- 高さ(幅): 実測値 1.085mm
- 厚み: 実測値 0.09mm
- 長さ: 実測値 約250〜280mm(巻き癖があり正確な計測は困難)
- 香箱内径: 実測値 約8.5mm(香箱蓋の溝により概算)
Tips:実測値とCousins UKの適合サイズは一致しなかったが、Cousins UKサイトを信じてパーツを選んだ。
💡 末端の形状(尾錠)に注意 手巻き時計のゼンマイは、香箱内壁のフックに引っ掛けるための「穴」が空いているか、「T型(丁字)」の金具がついているタイプ(ノーマルエンドやブレスタイプ)を選ぶ必要がある。自動巻き用の滑る仕組み(スリッピングアタッチメント)はNGだ。
代替パーツ選びの優先順位と最終結論
Cousins UKのデータベースから得られた純正指定のサイズ、取り出した古いゼンマイの実測値、そして今回調達した代替パーツの数値を一覧表にまとめました。
項目 Cousins UK適合サイズ(純正指定) 古いゼンマイの実測値 最終的に選んだ代替パーツ 高さ(幅) 1.20 mm 1.085 mm 1.20 mm(最優先) 厚み 0.10 mm 0.09 mm 0.10 mm(最重要) 長さ 240 mm 約250〜280 mm 220 mm(妥協可) 香箱内径 8.0 mm 約8.5 mm 7.5 mm(妥協可) タイプ 手巻き(非自動) 手巻き(非自動) 手巻き(非自動)
いくつか出てきた汎用ゼンマイの候補の中から、以下の明確な優先順位のもとにスペックを絞り込んだ。
【1】最優先:高さ(1.20mm) ここが一番シビアだ。香箱の深さに収まらないとフタが閉まらなくなり、低すぎると上下にガタつく。今回ピックアップした候補はすべて「1.20」だったため、ここは難なくクリア。
【2】最重要:厚み(0.10mm) 厚みは時計の「トルク(パワー)」を決定づける超重要ポイントだ。汎用品の中に「0.095mm」や「0.09mm」の候補もあったが、ゼンマイのパワーは「厚みの3乗」に比例する。たった0.01mm薄くしただけでも深刻なパワー不足に陥り、天輪の振り角が上がらず遅れや止まりのリスクが跳ね上がる。したがって、ここは元の設計通り「0.10mm」を厳守した。
【3】妥協可:長さ(220mm)と香箱内径(7.5mm) 本来の指定は「240mm / 内径8mm」だったが、最終候補に残ったものは「220mm / 内径7.5mm」だった。長さが20mm短くなるが、手巻き時計においてはこの程度の差であれば、パワーリザーブ(持続時間)が数時間短くなるだけで動作自体に悪影響はない。むしろ、香箱(バレル)の中でゼンマイがキツキツに詰まらず、するすると綺麗に解けてくれるため安全マージンが取れる。
結論: 迷わず「1.20 × 0.10 × 220 × 7.5 非自動」を選択。これが、不動のグリュエン21に再び命を吹き込む「心臓」となった。
📸新しいゼンマイの到着 (予備含む2つのゼンマイ)
3. 時針が抜けない「2つの罠」と救出の「裏技」
この時代のグリュエンのドレスウォッチは、ケースを極限まで薄く見せる「Veri-Thin思想」により、文字盤と時針・分針のクリアランスが極めて狭い(超低空設計)という特徴がある。
今回の個体は、時針のハカマ(根元)がつつ車とガチガチに固着しており、上からの剣抜きではビクともしなかった。古いグリュエン(特にCal.300〜330番台系)で針が抜けない場合、以下の特有の罠が関係している可能性が高い。
⚠️ 時針が抜けない「罠」
- 極端に狭いクリアランス: 経年劣化によるサビや固着により、時針のハカマが文字盤のセンター穴と実質的に一体化してしまうケースがある。この状態で下からヘラで煽っても絶対に抜けない。
- 瞬間接着剤の最悪な固定: 前オーナーが針の緩みを直すために瞬間接着剤(アロンアルファ等)を流し込んでいる場合がある。これはベンジンやパーツクリーナー(石油系)では全く溶けない。
🛠️ これでも抜けない場合の「裏技」
- アセトン(除光液)を試す: 瞬間接着剤が原因の場合、アセトン(ネイルの除光液など)しか効かない。文字盤の塗装がハゲないよう必ずシートを敷き、針の先につけたアセトンを時針中心の金属部分にだけ極微量塗布する。数分待てば結合が緩む。
- 諦めて「文字盤ごと」一緒に抜く(超おすすめ): 側面にある文字盤留めネジ(2箇所)を緩め、文字盤を少しずつ持ち上げて「時針」と「つつ車」ごとムーブメントからスルッと抜く。今回はこの方法(ウルトラC)を採用し、抜いた後にポンス台とミニハンマーを使って、裏から筒車の中心を垂直に叩いて安全に分離した。
なお、このゴールドの針は金無垢ではなく、強度を考慮した「真鍮ベースに厚い金メッキ(または金張り)」である可能性が高いが、サビのない非常に質の良い仕上げだった。組み込む際は時針の穴をポンス台で少し広げて対応した。
📸 文字盤・針の分離工程(罠と裏技)
Tips:文字盤ごと外して安全に時針を抜くことができた。
①時針を抜かずに文字盤ごと浮かせているところ ②文字盤の裏側には筒車が付いてくる ③タガネとミニハンマーを使って筒車を打ち抜く裏技の様子(文字盤には保護シート) ④外れた時針と筒車
📸時針の穴をたがねで広げる
4. ムーブメントの分解と洗浄
📸 文字盤側 / 表側の地板
特に難しい所はなく順番に分解する。
📸輪列側 / ブリッジ・香箱周辺(左右にスワイプして見てね!)
スクロールできます①輪列側全体のクローズアップ ②角穴車にドライバーを当てているところ ③角穴車を外して香箱受け、こはぜバネが見えている状態 ④ピンセットで受け(ブリッジ)を外しているところ ⑤露出したグリュエンCal.335の輪列機構 受け(ブリッジ)を外すと、このように美しい輪列(ギア群)が姿を現します。ここからは、パーツを傷つけないよう以下の順番で慎重に分解を進めていきます。
- 丸穴車
- 香箱、穴車受け
- テンプ
- 二番車
- 三番車
- 四番車
- ガンギ車
- アンクル
- アンクル受け
組み立て時は逆の手順となります。
📸 ムーブメント部品の洗浄
ベンジンでの洗浄 洗浄後のアンクル
5. 香箱の分解とビンテージ専用「注油マップ」
時針を抜いた後は、香箱の分解に進む。「VERI-THIN」と刻印された角穴車のネジ頭には溝(スリット)がなく、通常の左回し(反時計回り)で緩んだ。このムーブメントに逆ネジは存在しなかった。コハゼを外して動力を完全に逃がしたことを最終確認し、香箱を取り外した。
動力源(香箱・ゼンマイ)の分解
📸 香箱(外観と蓋の開放)(左右にスワイプして見てね!)
スクロールできます香箱の表面(蓋側) 香箱の裏面(歯車側) ピンセットで香箱の歯車を下に押えて蓋を開けている様子 香箱の蓋を開けた状態
1950年代 グリュエン 21(Cal.335)の注油マップ
📸組み込んだアンクルの爪石斜面への注油
ヴィンテージ時計を安全に動かすための注油ポイントは以下の通りだ。
| 注油する場所 | 使うオイル / 状態 | 適合判断・注意点 |
| テンプの軸 | シチズン AO-2A | 現行機同様でOK。ロービートの天真ホゾにも高い潤滑性と保油性が効くため重いオイルは不要。 |
| アンクルの爪石斜面 | シチズン AO-2A(またはメビウス9010) | 【超重要】9415はブレーキになるため使用不可。サラサラしたAO-2Aをかすかに塗るのが正解。 |
| 二番・三番車のホゾ | スーパールブリカント #77 | ゼンマイの力が強く隙間も広いヴィンテージ機には、油膜を保てる中粘度の#77がベストマッチ。 |
| 四番・ガンギ車のホゾ | シチズン AO-2A | 軽快で高速な動きが求められるため、低粘度のAO-2Aでエネルギーロスを防ぐ。 |
| アンクルのホゾ(軸) | ドライ推奨(何も塗らない) | 50年代のロービート機はアンクル自重が重いため、ドライのほうがテンプの振りが落ちず無難。 |
| アンクルのハコ&振り石 | ドライ推奨(注油禁止) | 粘気でブレーキがかかり、遅れや止まりの原因になるため絶対に塗らないこと。 |
| 香箱内のゼンマイ | フッ素グリス | 古い炭素鋼ゼンマイをサビや摩耗から守り、抜群の潤滑性が続く。上面に薄塗りが鉄則。 |
📸香箱内の下地処理(カキベラと耐水ペーパーで香箱内の荒れを整える)
📸新しいゼンマイの投入工程(左右にスワイプして見てね!)
香箱内をベンジンで洗浄後、グリスで極薄く馴染ませて時計用不織布(ダスパー)でサッと拭き、新品ゼンマイを入れてから上に4点グリスをごく薄く入れ、吹き上げずに閉じた。①ワッシャーの中央に収まっている円盤状の新しいゼンマイ単体 ②香箱にゼンマイを合わせる ③ゼンマイを押し込む ④香箱に収まったゼンマイ ⑤中央が窪んだ駒(スナップバック閉じ器用)に香箱をセット ⑥しっかり閉まった香箱の確認
組み立て後のチェックとフッ素グリスの洗浄法
組み上げた後、タイムグラファーで「フル巻き時に200°以上振るか」「12時間後に急激に振りが落ちないか」を確認する。振りが悪い場合は、ゼンマイ上のフッ素グリスが多すぎて広がりを邪魔している可能性がある。
また、次回のオーバーホールでフッ素グリスを洗浄する際は以下の点に注意が必要だ。
- 専用のフッ素系溶剤を使う(推奨): メービス(Moebius)の225Aなどのフッ素オイル用洗浄液を使用する。香箱とゼンマイだけを隔離し、ハケや筆で優しく洗い落とす。
- 物理的に拭き取る: 溶剤がない場合は、乾いたマイクロファイバークロスやキムワイプ等でゼンマイを挟んで何度も拭き取る。香箱内壁やフタもつまようじ等で層をこそぎ落とし、最後にベンジンで脱脂する。
👇シチズン AO-2a :テンプやガンギ車、四番車のホゾなどCaより粘度が低い
Tips:SEIKOのSE-AO-2も同じオイル。
ポチップ
👇メビウス 9010 :テンプやガンギ車、四番車のホゾなど、どうしても専用油が必要な聖域にはこれ
👇スーパールブリカント オイル #77:時計専用油AO-3などの代用として、極圧性の高いこのオイルが活躍します。
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👇シチズン AO-3a
Tips:SEIKOのSE-AO-3も同じオイル。
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👇フッ素グリス
海水で流れないプラスチックを痛めないシリコングリス以上の高性能グリス
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6. テンプの片振り調整(触らぬ神に祟りなし)
テンプ周辺の「ひげ持ちの固定部」のネジを緩めて片振り調整を行うべきか悩むところだが、結論としては「絶対に緩めない」のが正解だ。ひげゼンマイを固定している重要な部分であり、緩めると破損のリスクが非常に高い。
古い時計に多い「固定式ひげ持ち」の場合、テンプを取り外して中心のコレット(ひげ玉)を回すという高難易度の作業になる。今回は片振りが4.1msと大きめだったが、日差は-2秒/日と驚異的に安定しており、グラフも綺麗に出ていた。そのためリスクを考慮し、「調整せずに現状維持」とする非常に賢明な判断を下した。
📸
出典:Google Play ストアページ(Web URL): Watch Accuracy Meter – Google Play のアプリ
※アプリ名(Watch Accuracy Meter)画面より引用
7. グリュエン21の歴史的価値とロマン
📸完成して腕に通したグリュエン21
今回修理した「グリュエン21」は、1940年代後半〜1950年代にかけて展開されたグリュエン社のフラッグシップ(最高級)ラインだ。名前の「21」は、最高グレードの証である「21石」の自社製ムーブメントを搭載していることに由来する。
- 当時の価格とステータス: 販売価格は49.75ドル〜200ドル以上。中心価格帯の71.50ドルは、当時の物価(大卒初任給200〜250ドル)から換算すると、現代の20万〜40万円クラスの高級実用時計に相当する。一般的な労働者ではなく、社会的成功の証として購入された。
- 愛用した著名人: 近未来的なアール・デコ調のデザインは、ジェームズ・ディーンが愛用したことでも有名だ。また、ニューヨークの広告マンやウォール街の金融マン、ワシントンの政治家などのアメリカのエリート層、そしてモダン・ジャズのミュージシャンや芸術家たちにも愛された。
- 「USA」刻印の重み: ムーブメントのブリッジに刻印された「USA」の文字は、最大のロマンである。他社がスイス製造に依存する中、オハイオ州の自社工場(タイム・ヒル)で意地とプライドをかけて製造された。
アメリカが最も輝いていた黄金時代に作られ、当時の成功者が身につけていた歴史の結晶。そんな贅沢な時計がいま日本のデスクの上で再び時を刻む準備をしていると思うと、修理の手にも熱が入るというものだ。
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